【猫哲学179】


■信仰の科学。


 イワシの頭を猫は食べない。

 うちのバカ猫はイワシを焼いたのが大好きなんだが、頭はけっして食
べないのだ。猫には臼歯がないから骨を噛み砕いて食べるということが
できないので、無理に頭を食べたら食道や胃を傷つけることになってし
まう。だから当然といえば当然といえるが、本当にバカにして見向きも
しない姿を見ていると、何となく憎たらしく思えてくる。

 つまりヤツには宗教心など絶無なのだろう。ほら、よく言うでしょ、
イワシの頭も信…

 また無理矢理なこじつけを書いてしまった。

 ところで今回のタイトルは「信仰の科学」である。世の中には「幸福
の科学」なる似非宗教団体があるが、私はあんな看板と中身が正反対の
ようなインチキはしない。ちゃんと科学の話を書く。

 余談だけれども、あの団体の主宰である大川隆法という男は私と同い
年である。ついでに麻原ショーコーも同い年である。何やら不愉快な一
致だにゃー。

 余談はさておき。

 この世には2種類の人間がいる。信仰を必要とする人間と、必要とし
ない人間である。

 神を必要とする人間は惨めである。何事によらず神を頼りにし、神の
目を意識して行動しなければ何もできず、自分の意志というものを捨て
ている。自分で考えて行動しようものなら、傲慢とみなされて神に罰せ
られるのではないかといつも怖れている。

 神を必要としない人間は気楽である。何もかもを自分で理解し、判断
し、何にも頼らず自信をもって生きることができる。理解できないこと
は判断を保留し、いつか解ることもあるだろうと呑気に構えている。で
きないことは無理にやろうとしない。

 つまり私のようなヤツのことだな。

 とはいえ、神を必要としない人間だって、いつもいつもそう気楽にい
られるわけでもない。生きているかぎり誰だって、自分ひとりの力では
どうしようもない局面や不幸に出くわすものだ。

 たとえば愛する妻子が病気になって助ける方法がないとか、乗ってい
る飛行機が事故で墜落しそうだとか、そんなとき人は「神様…」などと
祈る以外には何もできない。

 あるいは思いもかけなかった不幸が次々に襲ってきて、そこに自分の
責任など一片も感じられなかったとき、人は「なぜ私にだけ。神様の意
地悪…」とか、「私の何がいけなかったのでしょう、神様」とか天を呪
ってみたりする。

 そんなつらい境遇のなかで、人によってはいきなり信仰に目覚めてし
まう者もいる。苦しみのさなかに神を見いだすのだ。でも私は、そのよ
うにして生じた信仰ってやつを、あまり信用しないようにしている。な
ぜってそれは、べつに真理に目覚め到達したわけではないからだ。まず
はそのあたりのことを科学的に解説してみよう。

 脳内麻薬って言葉を、聞いたことがあるでしょ。

 脳内で神経伝達を補助している数々のホルモンがあって、それらの俗
称として使われている言葉だ。ドーパミンやノルアドレナリンなどがよ
よく知られている。

 人が悩み、傷つき、疲れ果てるほど思い悩むとき、脳はその疲れを緩
和するために大量の脳内ホルモンを分泌することがある。それらはあく
まで疲労回復のための生理作用にすぎないのだが、その副作用として脳
が快感を覚えることがあるのだ。脳内麻薬といわれる由縁である。

 私は経験したことがないのだが、この快感って、すごくいい気持ちな
んだそうだ。目の前にあるすべての物がバラ色虹色に輝いて見え始め、
心は至福に満たされ、「すべてはこれで良いのだ」と感じるらしい。

 そんなわけで、苦しみのなかでこの状態に陥った人の何割かはこう思
ってしまう。「私は神を見た」と。

 さらに、これに幻覚まで伴うことがあって、天使なんかを見ちゃった
人は「精霊体験」などと言って、一気に信仰に走っちゃう。

 これが勘違いの元でね、困ったことである。よく考えれば酒を飲んで
リラックスしたのとほとんど変わらない生理現象なのに、この感情にす
がりつき、手放すことを怖れ、他人の意見など聞こうとしなくなる。苦
しみのなかで得た快感なだけに、事態はよけいに深刻である。かくして
盲信者の一丁あがりってわけだ。

 世の中には悪いヤツがいるもので、この現象を知ったうえで意図的に
苦しみを与え、信者勧誘に利用したりする。統一○会、○ーム真理教、
洗脳セミナーなどは、この脳のメカニズムを利用してアホ信者を大量生
産するわけだ。他にも同じような宗教団体は山ほどある。

 というような話は以前にも書いたので、今回はもうひとつの科学的事
実にふれておこう。これも現代宗教の拡大に利用されている。

 偽薬効果という言葉をご存知だろうか。

「ぎやくこうか」と読む。カタカナ語では「プラシーボ効果」という。
製薬業界では「プラセボ」と呼んでいるようだが、正しい発音により近
い「プラシーボ」で以後は記述する。

 プラシーボ(=偽薬効果)とは、その名の通り偽の薬を飲ませること
を言う。

 たとえば風邪の症状で苦しんでいる人がいたとする。医者がその人に
薬を出すときに「これは最新開発の薬で、すごく良く効くんです。しか
も副作用が全くありません」などと言って、ただの砂糖か小麦粉などを
飲ませたとする。すると驚くべきことに、人によってはあっという間に
風邪が治ってしまうのだ。これをプラシーボ効果という。

 もちろんすべての人が治るわけではない。一般的には20人に一人、
だいたい5%の割合でそういう人が出現する。

 これが風邪のように、ほっておいてもどうせ治るような病気なら笑い
話ですむことなのだが、ほとんどあらゆる病気で同じようなことが起き
るのが問題なのだ。なにせ、末期ガンまでこれで治っちまったという報
告さえあるのだ。

 だから製薬会社が新薬を開発するときには、プラシーボの可能性を排
除するために、本物の新薬を投与するグループと偽物の薬を投与するグ
ループの2つの患者グループに分けて治検を行い、データを比較する。
そして本物の薬で効果がみられたとしても、その患者数が5%を超えな
いと新薬とは認められない。

(ちなみに、かの有名な「丸山ワクチン」も5%前後だといわれる。)

 ここで信仰の話に戻ろう。

 新興宗教やなんかで「奇跡の水でガンが治った」とか「足の裏ツボマ
ッサージで万病が治る」とかいう眉唾ものの話って、ぎょうさんあるよ
ね〜。お元気ですかー!

 あれって完全にインチキなんだけど、ややこしいのは本当に治ってし
まう人もいるってことだ。5%以下だけどね。

 でも病気が実際に治った人にとってみればありがたい話で、だから喜
びのあまり教祖様の言うことを何でも信じてしまうことになる。しまい
には全財産身ぐるみ奪い取られて、親兄弟親戚の金まで貢いで、人生の
すべてを失うことになる。でも本人は幸せなのだ。何たって奇跡が起こ
って救われたんだからね。

 そんなことになっちまうのは全人口の5%以下なのだが、宗教の側か
らすればそれで充分なのだ。100人に一人でもそういう人をみつけれ
ば、その一人から大金を巻き上げればいいわけで、日本だけとってみて
も数百万人の潜在的カモいる。だからやくざな宗教がなくならない訳は
ここにある。

 プラシーボがありふれた自然現象にすぎないってことを知ってさえい
れば、全財産を失うようなことにはならない。なのに医学界も科学界も
もちろん宗教界も、こういうことはちゃんと教えようとしない。なぜな
ら医学も科学も宗教も、実はプラシーボからこっそり利益を得ているか
らなのだ。このあたりのことはまた別の機会に詳述する。

 プラシーボのことを書いているうちに、おもしろい話を思い出したの
で、最後にちょっとご紹介しよう。

 酒を飲みすぎると、しゃっくりが止まらなくなることがある。

 昔、私がまだサラリーマンをしていた頃、ある後輩の社員と一緒によ
く酒を飲んだのだが、彼は飲んでいるときによくしゃっくりを出してい
た。

 私はある夜、いつものようにしゃっくりに困っている彼に向かってこ
う言った。

「しゃっくり、止めてやろうか」

 彼はいかにもうさんくさいものを見るような目で答えた。

「どうやって止めるとですか。(九州男児なのだ、彼)」

 私は右手の手のひらを広げ、彼の背中に押し当てて言った。

「黙ってこのまま。目を閉じて30秒」

 30秒後、彼のしゃっくりは本当に止まったのである。

 もちろん私だって、こんなことでしゃっくりが止まるとは思っていな
い。ただその頃にはプラシーボについての知識があったので、「気のせ
いで治るかもしれない」という可能性に賭けてみたのである。

 そのときの彼のびっくりした顔は、すごく面白かった。

「うそや〜! 気持ち悪かばい!」

 などと喚いて嫌がっていた。しかししゃっくりが止まったのは事実な
のだ。私にしても、こういうことは人を選んでやっている。ある程度に
素直な心を持った者にしか、プラシーボの効果はない。そう、彼はとて
も良いヤツだったのだ。

 それからしばらく経った別の夜、また彼と酒を飲んでいたのだが、さ
らに面白いことが起きた。例によって彼がまたしゃっくりを始めたので
私は言った。

「止めてやろうか」

 するとその瞬間、私がまだ何もしていないのに、彼のしゃっくりは止
まってしまったのである。私はおかしさのあまり笑い転げたが、かれは
無茶苦茶に嫌な顔をして叫んだ。

「くやしか〜っ!」

 それからさらに後日、またまた二人で酒を飲んだのだが、やっぱり彼
はしゃっくりを始めた。私は、今回は何も言わずに、ただちらっと彼の
顔を見た。

 そしたらそれだけで、彼のしゃっくりは止まってしまったのだ。

 彼は「ぐぎゃー!」っと叫んでテーブルを叩いて悔しがった。ホント
に良いヤツである。にゃはは。

 以上は笑い話ということにしておいてもいいのだが、心と肉体の不思
議な結びつきを示すとても興味深い事実でもある。そしてプラシーボと
いうのはべつに珍しいことではなく、とてもありふれた親しみのある現
象なのだということも教えてくれる。

 だから、賢く生きていこうとするならば、こういうことは知っておい
たほうがいい。医学とは何か、精神と何かを考える際の格好のヒントと
なることだろう。だいいち、いかがわしい宗教に騙されることもほとん
どなくなるだろうしね。

 ところで、この話には後日談がある。プラシーボの何たるかを身をも
って認識した彼は、いつしか彼の後輩や部下たちにも自分の手で「しゃ
っくり止め」の技を実践するようになった。そしてやっぱり、周囲から
気味悪がられているそうだ。

 こいつも「変なヤツ」の仲間入りだな、笑。

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「あたしがキスをしてあげたら、どんな病気でも治るっていわれてるわ
よ」

「げぇー、そりゃまた強烈すぎるプラシーボやがな」

 また私と超美女との、おバカな会話である。

「本当なんだからね」

「疑ってないよ。盲は目が開きいざりは立ち上がり、寝たきり老人は走
り出すってやつだろ」

 バコッ! 殴られるよな、そら。

「あなたも、試してみる?」

「いらん」

「何でよ!」

「だってオレは病気じゃないもん」

「その性格は充分にビョーキよ」

「でもやっぱり、やめとく」

「失礼な男ね!」

「そんなことされたら、ビョーキになりそうだし」

 ガコッ! どすっ! バキッ!

 3連発である。案外、これでビョーキが治ったりして。ほへ

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