【猫哲学104】2007/02/15


■いじめ猫。


 ボス猫はかなり偉いやつである。私はちょっと尊敬している。

 ノラ猫世界でのボス猫の縄張りは、だいたい1キロメートル四方程度
の広さらしい。ある猫好きの人が観察したレポートにそうあった。その
人が調べたのは都会の野生化猫だったが、田舎の野良猫となるとまた事
情は違うのだろう。調べてみたけど、よくわからない。

 うちの近所のボス猫は、何度か見たことがある。道の真ん中を堂々と
歩くから、すぐにわかるのだ。彼にしてみれば、「俺はここにいるぞ、
いるからな、わかってるなてめえら」と自己主張する目的があるのだか
ら、動物学的にみても納得できる態度である。

 ボス猫というのは、べつに身体がでかいとは限らない。意外なほど小
柄な黒猫だったりもする。要はケンカが強ければいいわけで、体力以外
にも反射神経とか技術だとか知恵だとか根性だとか、どこかに優れたも
のを持っているのだろう。

 ボス猫は、縄張りに侵入してくる他の雄猫を認めない。ケンカをふっ
かけて追い出す。自分の子供であっても大人になった雄猫は叩き出す。
テリトリーの雌猫はすべて彼のものである。とはいっても広い縄張りの
すべてを四六時中監視しているわけにもいかないから、ちゃっかり者の
雄猫とか流れ者の雄猫なんかもやってきてそれなりに遊んでいくらしい
けど。

 縄張りの内側は、彼のものである雌猫がいくつかの集団をつくってい
る。雌猫たちは適当に食べ物を分け合ったり共同で子育てをしながら家
族的に暮らしている。というのが一般的な都会野生猫のテリトリー像で
ある。

 このテリトリーに、散歩をする飼い猫とか野生が半分残っている家猫
とかが絡んでくるので、都会の猫社会はけっこう複雑である。でも混乱
もなくなんとかやっているのは、ボス猫が睨みをきかせているからであ
る。

 ところがそのボス猫が、いきなりいなくなることがある。たいていは
病気か交通事故で死んじゃったのだろうが、そのとたんに猫社会は不安
定になる。

 そして、いじめが始まる。

 若い雌が子猫を引っかいたり追いかけ回したり、あるいは特定の猫を
追い出したり、つまり弱者に攻撃が向けられる。

 これはどういうことなのだろうか。

 残された猫たちは不安なのだ。これまでボス猫に依存して保たれてき
た秩序が、いきなり消えてしまった。どう判断し、どう行動していいの
かわからない。不安はいらいらとした情動を生む。情動はどうにか処理
できないと苦しい。だから弱者をいじめて発散させるのだ。それを強者
にぶつけるような根性があるなら、そもそも不安にならないし情動も生
じない。つまりいじめる側もまた弱者なのである。そしていじめられた
弱者は、さらに弱い相手をいじめてストレスを発散させる。

 こうした混乱は、そのうちどこかからふらりとやってきた雄猫がボス
の座に居座ると、治まってしまう。猫社会には別の秩序が戻り、平和な
日々がまた始まるのである。

 やっぱりボス猫は偉いやつだなあ。という話で終わってもいいのだけ
ど、終わってはいかんような気もするな。昨今の日本社会を見ていると
ね。

 動物の話を続けよう。

 猿社会にもいじめはある。動物園の猿山をほんの少し観察すればすぐ
わかる。必ずどこかに一匹、みんなからバカにされていたりシカトされ
ていたりする猿がいる。なぜなのかはわからない。猿社会はそういうも
のだとしかいいようがない。

 金魚にだっていじめはある。本当だよ。

 金魚鉢に一定数以上の金魚を入れると、どれか一匹の個体がみんなか
らつつきまわされる。このつつきまわし行動は、たいていその個体が死
ぬまで終わらない。

 いじめは群動物の生物学的必然である。絶対になくならない。

 もう少し解説しよう。いじめとは、群社会の秩序が不安定になったと
きに、別な安定が構築されるまでの間、個々の構成員に不安が生じ、そ
の不安を解消するために弱者への攻撃衝動へと転化されるものだ。衝動
は必ず弱者へと向かう。その弱者が死ねば、衝動はいちおうは緩和され
るが、社会秩序が不安定なままだと同じ事がまた繰り返される。昨日ま
でいじめていた側の最も弱いヤツがいじめられるターゲットになる。

 この世に完璧な社会などない。そして社会は常に動揺しているから、
不安は解消されない。不安が蓄積される以上、いじめはなくならないの
だ。絶対に。

 完璧に近いほど安定していた江戸時代にだっていじめはあった。忠臣
蔵なんていじめの典型じゃん。

 ましてやこの無茶苦茶なまでにデタラメになっちまった戦後日本社会
だ。いじめがなくなるはずがない。国会なんていじめの見本市だ。手本
になるべき大人がそうなんだから、子供はもっとエスカレートさせて模
倣するよ。

 それにしても最近はひどいんじゃないの? 子供のいじめ自殺が多す
ぎるし…、と思ったあなたは、騙されている。以前からこんなようなも
んだったのだ。

 いじめ自殺の実態をいうなら、毎年この程度の子供たちが死んでいた
のだ。しかし、いじめの対策指導が教育委員会の管轄とされていたため
に、教育委員会の腐れオヤジどもは自分の責任を逃れようとしていじめ
の実態を隠した。かくして、10年連続いじめ報告件数ゼロなどという
レポートが作成されていたのだ。まったく、猿ほどの知恵もないやつら
が教育委員会だとよ。

 早い話が、子供の自殺は年間に何件も起きていた。ほとんどにいじめ
がからんでいた。でも教育委員会はいじめの事実を認めなかった。認め
なかったからないものになっていた。それだけのことだ。

 この程度のこと、私はずっと前から知っていたよ。今頃になってマス
コミが騒ぎ出したのは、国会で教育基本法改正案を無理からでも可決し
たいという政府からの策謀に乗ったからだ。マズゴミの堕落、提灯持ち
退廃ぶりはもうここまで来ている。

 だいたいやねえ、自殺報道そのものがさらなる自殺の引き金になると
いう常識ぐらいわきまえてねえのか、マズゴミ連中。それとも、自殺者
をもっと増やすのが狙いで狂騒報道をしてやがるのか。※

(※自殺の連鎖に関しては「ウェルテル効果」という社会心理学用語を
猫哲学で解説しています。36参照のこと)。

 それにしてもなあ、上に私が書いたことは基本中の基本である。そん
なことも知しらないくせして、やる気のない脳足りんの政府委員どもが
「いじめ問題緊急提言」なる答申を書きやがる。「いじめたヤツにはボ
ランティアをさせたらいい」だって。ボランティアは罰なのか。今後、
ボランティアをしている人を見たら「どんな悪いことをしたんだろう」
と疑わなければならないのか。ほんとにもう救いがない。私はただただ
絶望と諦めのなかにいる。

 絶望と諦め。これは猫哲学第2期の基調をなすものである。今後もこ
の調子でいくからね。

 とはいっても、無責任でもないのが猫哲学。時代への処方箋を考察し
ておこう。

 でも、現代社会はおろか人類史の全体を貫いてきた「いじめ」という
問題、そんなもんへの処方箋など書きようがない。だから範囲を狭めて
学校でのいじめ自殺についてだけ触れておこうと思う。

 実をいうと、私もいじめられていた。小学生だった時である。でも平
気だった。私は鈍感な子供だったのだ。

 どんな悪口を言われようと蔑まされようと、「ふ〜ん、そーなんだ。
そういえば親にも誉められたことがないな」などと納得していた。どれ
ほどシカトされようと、学校の片隅で楽しそうに本を読んでいる、そん
な変なやつだった。自分がいじめられているという自覚がないので、感
情的にも傷つかない。平気だった。今頃になってこうして昔を振り返っ
て、ああそうか、あれっていじめだったんだよなーと気付いている。変
人とは強い者なのだね。

 教師にもいじめられた。これは痛かった。A原小学校で5、6年生の
担任だった高森というクソ教師だ。実名で書いてやる。きさま、よくも
まあいじめてくれたな。今頃は耄碌じじいになっていやがるだろうが、
もしもいつかどこかで会うことがあれば一発殴ってやる。

 具体的ないじめの内容は書くまい。別のクラスの担任だった女教師が
「あなたはこんな処罰を受けるような悪いことはしていない」と言った
ほどだ。でもこのオバサン、それを私に言ってどうする。張本人のバカ
森野郎に言ってくれ。何の問題解決にもならないだろ。それどころかこ
のメスボケ教師、「何で黙っているのよ」と私を責めた。それはないだ
ろう。いじめのダブルバインドじゃねえか。※

(※ダブルバインドというのは、精神医学的にはとても危険な状況であ
る。このことの詳しい説明はまたいつか)

 学校というのは救いようのない場所だな。子供心に私はそう思い、今
でもその認識は変わらない。

 でも、けっこう平気だった。学校を一歩出たら、そんなことは気にし
なくてよかった。すぐに忘れた。あの頃、空は高く、一日は長く、世界
は光に満ちていた。

 私の経験など、今の子供たちの苦しみには何の参考にもなるまい。そ
んなことはわかっている。時代が違うし、学校環境も違う。しかし私の
経験は何が問題なのかを示唆してもいる。

 いじめなど、大したことではないのだ。自殺に価するようなもんじゃ
ない。そのことを、死んでいく子供たちは知らない。問題のすべてはこ
こにある。

 しつこいけど、もう一度書く。いじめは絶対になくならない。いつか
どこかで必ず誰かの犠牲者がいる。これは避けることはできない。だか
ら、運悪く被害者となったときに、それが自殺という悲劇に結びついた
りしないような在り方をこそ身につけるべきなのだ。個人も社会も両方
からそうすべきなのだ。

 そんなに難しい話ではない。いいですか、ちょと考えてね。

 学校など小さな社会でしかない。外側にはもっともっと大きな社会が
あり、世界があり、宇宙がある。しかし子供たちは、まるで学校が全世
界であるかのように思ってしまう。学校か死か。そんなバカな対比はな
い。それがバカに見える視点を教えてやることが、大人たちはなぜでき
ないのだ。

 同じように、生徒である期間など、人生のほんの一部分だ。その人生
だって歴史の一瞬にすぎないし、地球は回るし銀河は回転するし宇宙は
生成する。それなのに生徒たちは、いじめが永遠に続くものと考えてし
まう。学校か永遠か。そんなバカな対比はない。それがバカに見える視
点を教えてやることが、大人たちはなぜできないのだ。

 …なぜできないのか。私は本当はそれを知っているけど、それを言っ
ちゃあおしまいよなので、ここではやめておこう。

 子供たちにはこれだけ言っておこう。いじめというのは、反応がある
からおもしろくなって、エスカレートする。私のように無反応を装いな
さい。ガキってやつは飽きっぽいから、何の反応もなければつまらなく
なり、すぐに忘れて別のことに興味が行く。いじめられたらつらいだろ
うけど、騒がず、泣かず、深呼吸をして別のことを考えなさい。

 本当にしつこいけど、最後にもう一度書いておく。いじめは絶対にな
くならない。いじめをなくす対策などあり得ない。何か施策をしたとこ
ろで、その施策自体が形を変えた別のいじめを作り出すだけだ。本当に
必要なのは子供たちにいじめに負けない強さを教えることなのだ。

 そして、もしも子供たちのすべてがいじめに負けない強さを持てとし
たら、そのときにこそいじめは消滅するだろう。

 あり得ないけどね、そんなこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「暗い子供時代を送ったのね」

 いつもの超美女は、そんなふうに私を茶化すのであった。

「平気だったから、暗くなかったよ」

「だから今になっていじめるのね」

「へ?」

「あたしをいじめてるじゃん。悪口ばっかり書いて」

「あのな、いじめってのは、弱者を複数でいじめることだろ」

「あたしが弱者じゃないってっ?!!」

 ビンタが飛んできた。

「ほら、強いじゃないか」

「まあね」

「だからいじめられなかっただろ」

「いじめたやつは半殺しよ」

「それって、逆にいじめと違うか。よく考えると」

「あれ?」

「何だかわからなくなってきたな」

「そうね」

「みんな忘れてメシにいこうか」

「あたしをいじめたお詫びにね」

 そう言って彼女は、天使のように笑った。こういうときにだけ可愛い
のだ。始末の悪い女である。誰か、こやつをいじめてやってくれないだ
ろうか。あ、半殺しか。

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