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【猫哲学180】2010/03/12
■人を憎むということ。
あなたは人を憎んだことがあるか。私は一度もない。だけど憎まれた ことはある。今回はそういうお話である。
うちのバカ猫は、たまにだけど真夜中にドタバタと走り回ることがあ る。家の中に動く物なんか何もないし、ましてや築後6年とはいえ新築 マンションの5階にネズミなんかいるはずがない。なにの何者かと追っ かけっこでもしているように興奮して走り回るのだ。何を追いかけてい るのかぜんぜんわからないが、まあどうせストレス発散のジョギングみ たいなものだと思って、私は気にもしない。そのうちにバカ猫は静かに なり、私の横にやってきて寝てしまう。私もすぐに寝る。普段はそんな もんである。
ところがある日のことであった。その夜はバカ猫の暴れ方がいつもと 違っていた。まず足音が違う。パタパタかさこそ、ネズミ大の小動物み たいな足音だ。次に走り回る場所が違う。壁といわず天井といわず、重 力に無関係に走り回る。私がバカ猫に立ち入り禁止を厳命している台所 にまで入り込み、冷蔵庫のそのまた上に置いている電子レンジの上にま で飛び上がって暴れている。
なんやなんや、いったいどうしたんやと目を醒まして起きあがったと ころが、バカ猫は私のすぐ横にうずくまっているではないか。ありゃま あ、ということは、暴れているのはこやつではないのか!
台所の薄暗がり、天井に双つの目が光っている。姿は見えない。尻尾 の影だけが揺れている。
「来やがったか、やっぱりな」
私は呟いて、その目を睨みつけた。
話をその日の夕方に戻そう。私はとある女性と一年ぶりに合う予定だ った。彼女とはずっと顔を合わせることを避けてきたのだが、折り入っ て相談があるというので、夕食がてら話をしようということになってい た。
その女性はちゃんと夫もいる人で、私もべつに下心なんかあるわけで もなく、つまり変な関係ではない。気軽に話のできる人生の良き先輩後 輩という間柄だった。
だが、彼女に惚れている別の男がいて、その男と私とは知り合いなの で、じゃっかんのややこしさがある。彼女はその男の心中深くは知らな いだろうが、私は何度も彼が酔っぱらったときの台詞を聞いている。
「くだらない男と結婚しやがって、ちくしょー!」
その男はいつも叫んでいた。
とはいっても、その男だって結婚していて妻がいる。何ともくだらな い昼メロみたいな話である。だから私は、どちらかというと関わりたく なかったのだ。
私はあるとき、その男と飲んでいたのだが、アホ野郎が私とその女性 との間柄について嫉妬まじりにねちねち絡んできたので
「わかったよ。もう二度と会わない。話もしない。それでいいだろ」
とブチきれて大喧嘩になり、それ以来、そいつとは絶交状態にある。 私と彼女が知り合ったのが、元はといえば彼に紹介されたことがきっか けだったので、そうするしかなかったのだ。
その男は以後もストーカーまがいの動きを続け、彼女のブログの文章 を盗用して自分の新聞連載を書いちゃうとか、唖然とするようなことも やっていたらしい。私も新聞でその盗用のひとつを発見し、仰天したこ とがある。
そんな経緯があった末に、本当に久しぶりに彼女が相談があると言っ てきたので、私も妙な意地を張らずに会ってみることにしたのだった。
待ち合わせ時間の10分ほど前、約束の場所にまでたどり着く前に、 彼女が目をまん丸にしてこちらに走ってきた。息をきらせてこう言う。
「さっき、○○さん(=例の男の名前)に、そこでばったり会ったんで す」
ほひょー!!
さあてさて、こんな偶然があるものだろうか。何時何分にどこで待ち 合わせというのはすべて携帯のメールでやりとりしたものである。彼が 知る方法はないはずだ。ということは偶然か。
私は、こういうことに偶然などあり得ないと思っている。確率計算す るまでもない。こんなことは宝くじに当たるよりももっと希なはずだ。 3人が3人とも、一年に数度しか行かないような場所で、数年ぶりに同 時刻にはち合わせするなんてあり得るはずがない。となると、可能性は 3つだ。
可能性その1:男は彼女をずっと尾行していた。
そうだとしても、長いこと彼女に姿を見せなかったのだから、たまた ま私と待ち合わせているときにだけ姿を見せるなんて不自然だ。それに 彼はそんなことができるほど暇な自由人ではない。
可能性その2:男は超能力者だった。
持ち前の超能力で、彼にとって不愉快なことが起きそうだと察知し、 慌てて飛んできたのか。そんなアホな、と思われるかもしれないが、世 の中には超能力者なんてけっこういるものだ。私の母だって、限定的だ がそういう能力を持っていた。
可能性その3:携帯のメールを盗み見した。
これも不可能ではない。送受信するメールを別のアドレスにも転送す るように設定するだけで、誰にだってできる技だ。彼女が、ちょっとト イレとかなんとか、席を外している隙に携帯をいじればいい。パスワー ドが必要だが、誕生日とか電話番号とかをパスワードにしている人も多 いので、意外と簡単に突破できたりする。
3つの可能性のうち、どれが正解だろうか。回答は、その日の深夜に 明らかになるのであった。
さて、彼女の相談というのは、私が資産運用で使っている外債とかソ ブリン債について教えてほしいというもので、私は知っている限りのこ とを話し、手続きや証券会社などを紹介して気軽に終了した。
久しぶりで懐かしかったので、食事の後で私の馴染みのジャズバーへ 彼女をご招待し、でも彼女には家庭があるので早めに解散した。
家に帰り、良い季節だったのでリビングのラグマットに横になり、そ のうちに寝てしまった。そして夜中、冒頭に書いた騒ぎが始まったので あった。
闇に光る双眸はリスの目のように赤く、しかしあの男の気配を宿して いた。やっぱり超能力者やったんか。せっかくの能力なのに、もっとま しなことに使わんかいな、アホ。
これはいわゆる「使い魔」というやつである。私はこれまでの経験か ら、こういう連中にどう対処したらいいのかを心得ている。けっして怖 がってはいけない。反対に、叱り飛ばすのだ。
私は声に出して語りかけた。
「おいこら。おまえな、正体はわかってるぞ。こんな所で何を暴れてや がる。アホちゃうか。情けないとは思わんのか。オレに当たってみたと ころで、何の解決にもならへんやろうが。それに、オレが怖がるとでも 思ってんのか。バカ野郎、クソガキ。ちゃんと大人になったらどうや。 そんなくだらない性根かかえて、これからずっと生きていくつもりか。 ぜんぶ自分が悪いんやないか。何もかも、自分で選んできた結果やない か。他人に憎しみをぶつけて何になる。みすぼらしい生き方をすんな。 もっとかっこよく生きてみようと思えへんのか。自己チュー野郎。あほ んだら。自分がそんなにかわいいか。惨めか! 哀れか! 他人がそん なに憎いか! 同情してほしいか! オレはきさまなんか相手にする気 はない! 失せろ! 出て行け! このゴミクズ野郎が!」
最後は怒鳴っていた。
これは私の妄想ではない。隣でバカ猫も一緒に唸っていたもんね。だ からこいつが証人、じゃなかった証猫である。
とまあ、ここまでは長すぎる前置きでした。今回は憎むということに 関する考察である。
でもねえ、先に書いた話は1年半ほど前のことだけど、私は今頃にな って思うのだ。あの男も、苦しかったんじゃないだろうか。私は人を憎 んだ経験がないのでよくわからないのだが、憎むということはかなり苦 しいことのように思う。何となく同情しちゃったりして。なんて言うと あの男はもっと激しく私を憎むだろうな。あ、そうか。人をもっと苦し ませる方法みっけちゃったかも。おっと、あまりに陰険やな。
さてところで、ここからはがらりと論調を変える。前半では私が憎ま れた話をしたけど、後半では人を憎むことでしか自分を支えられない気 の毒な人の側に立って話を進める。
前半で書いたアホ男のようなのは論外としても、世の中には誰かを憎 むしかない立場に置かれてしまう人もいる。たとえば光市殺人事件の被 害者遺族、本村さんのような人がそうだ。犯罪被害者になったり、誰か に騙されたり裏切られたりしたとき、人はどうしても憎しみを心に抱い てしまう。私はそうした人々に、憎むということの意味を問いかけてみ たいと思う。
ところで何度も書いているように、私は人を憎んだことがない。だか ら憎むということがどういうことなのか、本当はよくわからない。
怒ったことはある。たとえばブッシュとかラムズフェルドとかチェイ ニーとか、ああいう連中の行いを見ていると腹の底から怒りが沸き上が ってくるが、でもそれは義憤に近いものであって、憎しみとはちょっと 違うと思う。
私たちは基本的に「善であれ」と教わって育ってきたから、「善でな いこと」を嬉々として行うあんな連中をみていると、その行いを正さね ばならないという衝動が自動的に沸き上がってくるようになっているの であって、それが怒りというものである。
だから怒りというのは、どこか自分とは距離のある何物かに対する情 動であって、自分の全存在が脅かされるようなものではない。忘れてし まえば気にもならないようなものである。
憎しみというのは、そんなものではないらしい。ある人から聞いた話 を書いてみよう。
「憎むっていうのはね、朝も昼も晩もずっとそいつのことが頭から離れ ないんですよ。寝ることもできない。食欲もなくなって、ずーっとそい つのことばかり考えている。考えたくなんてないのに、頭から離れてく れない。けっきょく、10キロも痩せましたね」
「でも考えるっていっても、何を考えるんですか。思い出すのだって嫌 でしょうに」
「どうやって殺すかですよ。刃物で殺す、銃で殺す、毒薬で殺す。事故 を装って殺す、他人を使って殺す、爆薬で殺す。ほんとにもう、ものす ごくいっぱい考えましたよ。でも完全犯罪じゃないといけない。私が罪 に問われたら、復讐になりませんからね」
「そりゃそうですね」
「それに、相手に恐怖を感じてもらわないとね。不意に殺したんじゃ、 安楽死させるのとほとんど一緒ですから。私がどんなに憎んでいたかっ て、相手に思い知らせないと。そして、それにふさわしい恐怖を感じて もらわないといけない」
「で、どんな方法がいいという結論に?」
「それがわかれば苦労しませんよ。考えて考えて、考えて考えて考えて ついに何も思い付きませんでした。それを考えるのに何年もかかって、 いつのまにか憎しみから解放されたんです」
この人の話によれば、考えたくなくても、思い出したくなくても、忘 れることができない。どうしても思い出してしまう。他のことを考えら れない。いつも憎い相手のことばかり思ってしまう。それが苦しい。眠 れないし、食欲だってなくなってしまう。それがつまり憎むということ らしい。
そんな話を聞いて、私はふと思った。それって、恋みたいやなあ。
おっとと。そんなことを言っちゃ話してくれた人に失礼だし、ここで は恋と憎しみの類似性について語るつもりはない。私は、憎むという感 情の自己矛盾性について指摘したいのだ。
私は語りかけたい。誰かを憎んでいるあなたへ。そいつを憎むことで 苦しんでいるのはあなたである。あなたが苦しんでいるのだ。たとえそ いつに苦しみを与えたとしても、あなた自身の苦しみが消え去るかどう かはわからない。消え去るかどうかは、やってみなければわからない。 やってみなければわからないけど、必ず消え去るという保証などない。
ましてや相手を殺したとしても、あなたの苦しみが癒やされるかどう かなどわからない。反対に、人を殺してしまったという苦しみが重なる だけかもしれない。
あなたが苦しんでいるのは、あなたが何かを失ったり傷ついたりした その苦しみなのであって、これは相手に苦しみを与えても殺したとして も埋め合わせなどできるものではない。
ではなぜ相手を苦しませたい、殺したいと思うのかといえば、それし か思いつかないからだ。何しろそれほどまでに苦しい思いをしたことは これまで経験がないので、苦しみを解消したくても原因を作った相手の ことしか思いつくものはなく、憎しみという感情がその相手に向かって 生じている以上、そいつに報いを与えなければならないという形にしか 考えることができないのだ。
それに加えて伝統的な道徳や宗教によって、罪には報いを与えなけれ ばならないという観念が幼少期から刷り込まれているので、そういう方 向に考えが向くのは自然なことのように思われるのは当たり前のことな のかもしれない。
だがしかし、本当にそれでいいのか。
あなたは本当に、それで救われるのか。
ここにはっきりと書いてしまおう。そんなことで憎しみは消えない。 そんなことで苦しみはなくならない。
私は憎むということがよくわからないが、それくらいのことは理解で きる。
相手を傷つけたり殺したりすれば、あなたの苦しみはさらに増すだけ だろう。あなたが平然と人を殺したりすることのできない「やさしさ」 を持った人だからこそ、あなたは相手の苦しみを苦しみとわかるわけだ し、死の恐怖を恐怖として理解できてもいるのだ。そんなあなたが、相 手を苦しませるようなことに自らの手を下したりすれば、次にはあなた の「やさしさ」そのものがあなたを苛むことになるだろう。
だが、苦しみを鎮める手段がないわけではない。そのことを話そう。
憎しみは、手放してやればいい。苦しみは、忘れてやればいい。
すべてを受け容れ、そのことと同時に宇宙を思うのだ。幾億、幾兆も の星が輝く銀河を心に抱くのだ。
いつかあなたは星の一つとなり、あなたを見つめる別の星を見出すだ ろう。その星は、あなたを慈しみの光で満たすだろう。
そのときすべては、やわらかな光とともに赦されて在ることに気付く だろう。憎しみも痛みも苦しみも、すべては光の中に融けていくことだ ろう。
それには時間がかかる。10年か、20年か。しかし、それは必ず、 そのようになる。あなたが自らの「やさしさ」を手放したりしないかぎ り必ず、それは訪れるだろう。
ここに書いたことは、キリスト教の「救い」の概念にちょっと似てる かも。キリスト教は嫌いだけど。
最後は意味不明になっちゃったかにゃ? ごめんね。
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「で、誰なのよ、その女」
やっぱり超美女は話の枝葉にしか反応しない。
「きみの知らない人だよ」
「馴染みのジャズバー? 行ったことないわよ」
「ワインは置いてないから。日本酒も」
「美人なの?」
「誰が?」
「その女よ」
「きみと比べたら月とスッポン…」
バコッ!
「あたしが月みたいにデコボコだって?」
「曲解するなー!」
「よし、花狩人(=激うま日本酒の店)でスッポンを食べよう」
う〜ん…。これって彼女なりの憎しみの表現なのか? ほへ
F−pon
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