【猫哲学50】2004/09/24


 じゃんじゃかじゃーん♪ ついに50回目を迎えてしまったぞ。

 というわけで今回は、猫哲学50回を記念して、特別編です。哲学と
はあまり関係ないんだけど、猫哲学としてはだいじな問題を扱います。
まあ、読んでみてください。それでは。

■我が輩は盗作である。

 夏目漱石作『我が輩は猫である』をはじめて読んだ。

 これまでは冒頭の数行しか読んだことがなくて、興味もないからほっ
ておいたのである。私のいまの日常は、それほどまでにヒマだというこ
とやね。どうせ岩波文庫だと525円だ、時間つぶしとしてはとても安
上がりだし。

 んで、読んでみて驚いた。細部まで盗作なのである。

 この小説(?)がエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン著
『牡猫ムルの人生観』のパクりであることはすでに【猫哲学20】で書
いたが、それはあくまで「猫が語る」という全体構造の類似を指摘した
だけであって、まさか部分までは似ていないだろうと読みもせず根拠も
なく考えていた。だって文豪といわれた漱石先生だもんね、たんなる表
面的な類似などは超越して、オリジナリティのあるひとつのちゃんとし
た作品として成立させているのだろうと、素直な私は勝手に思い込んで
いたのであった。

 ところがである。なんとまあ、構造どころか細部まで似ているのだ。
こういうことはやっちゃいかんでしょう、千円札文豪先生。こんな小説
を日本文学の代表作と持ち上げている人たちは、そうした事実をまった
く知らなかったのだろうか。いやいや、そんなことはあるまい。

 ちなみにホフマン著『雄猫ムルの人生観』は、戦前にはすでに文庫本
に翻訳されている。読みたい人ならドイツ語など知らなくても日本語で
読めたはずだ。だいいち、そのときに翻訳をした人がいるわけなので、
当の訳者さんが同工異曲の漱石の本を読んだことがないなどとは考えら
れない。

 つまり気付いている人はいくらでもいたはずなのだ。その人たちはな
ぜ黙っていたのだろう。

 やはり、権威にむかって本当のことをいうのは勇気がいるというわけ
か。「王様は裸だ!」と叫ぶのは、そんなに難しいということなのだろ
うか。

 さてさてそれでは、ここで私が、漱石とホフマンの類似を対比的に並
べ立ててみせてさしあげよう。こんなことをやった人は、これまでに誰
かいたのだろうか。たんに私が知らないだけのことかもしれない。でも
知らない人にはもちろん初耳なんだから、やっておく意味がないわけで
もあるまい。でわっ、いくぞ。

(以下の引用は、夏目漱石作『我が輩は猫である』岩波文庫版と、ホフ
マン著『牡猫ムルの人生観』深田甫訳・創土社「ホフマン全集」第7巻
からのものです)(そんな本を持っている私は、やはり変人かもしれな
いな)。

 まず冒頭。ほんとにもう、冒頭からパクりなのである。漱石の作品で
は猫が生まれてすぐの話からはじまるが、ホフマンの作品も同じく猫の
誕生からはじまるのであった。

 まず、『我が輩は猫である』の冒頭:

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「どこで生まれたかは噸と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所
でニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。」(7頁)
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 次に、『牡猫ムルの人生観』の冒頭:

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「余がこの世の光を目にした場所が(どこであるか)…余みずから決し
て決着のつけようもないままでいる…。ただぼんやりと余のまわりで唸
るような、鼻息のような音色がひびいていた…あれは余じしん(の)声
とおなじものである。」(24頁)
================================

 言葉選びこそ違うが、内容はまったく同じことを書いている。生まれ
てみた光のことと、きこえた声のこと。それが自分の声だということ。
記述の順番までいっしょだ。なにもこんなことまで似せなくてもいいよ
うなものだが、基本的な構造をパクった以上、似たようなはじまり以外
のプロットを思いつかなかったのだろうか、大文豪さんは。

 登場人物の配役についても、おなじような真似が繰り返される。

■『我が輩』の場合、飼い主は英語教師で物書き。つまり漱石自身。

■『牡猫ムル』では、飼い主は音楽家で文化人。つまりホフマン自身。

 せめて主人を女性にするとか、あるいは子供にするとか、またはただ
の野良猫にするとか、パクり元との違いをつくる方法はいくらでもあっ
ただろうに、わざわざホフマンのプロットそのままを採用している。な
んとまあ工夫のないことだろう。

 ものすごい細部に関しても、文豪先生は真似てしまっている。いや、
細部だからこそ無防備になったのだろうか。悪さをした猫を飼い主がひ
っぱたく場面があるが、ムチを使うという、日本人が普通に猫をしつけ
る場合にはほとんど使わないような珍しい方法を書いてしまっているの
だ。

 漱石の猫:

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「現に先達ってなどは物指で尻ぺたをひどく叩かれた。」(11頁)
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 ホフマンの猫:

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「…師匠は余に最初の白樺の小枝をふるわれたので、余としても不運の
きわみであった。」(58頁)
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 鞭というものは西洋ではとても一般的な道具であり、小学生を指導す
る教師が使ったりもするが、日本ではほとんど使用されない。まして、
猫のしつけにはほとんど使われない。

 おそらく漱石先生、猫のしつけを実際に経験したことがなくて、本で
読んだ知識をもとに書いたにちがいない。つまり先生は、猫のことをな
にも知らないで猫文学を書いたのである。ホフマンの猫への洞察に満ち
た文章と比較すると、外見はおなじものなのに、質の差はあきらかだ。

 もうひとつ、細部をいっとこう。主人公の猫が、雌猫と逢い引きする
場面が両作品ともに出てくる。その記述は、以下のようなものだ。

 漱石:

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「いるかなと思って見渡すと、三毛子は…(一行略)…行儀よく縁側に
座っている。その背中の丸さが言うに言われんほど美しい。曲線の美を
尽くしている。尻尾の曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょい
ちょい振る景色なども到底形容が出来ん。…(三行略)…我が輩はしば
らく恍惚として眺めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で『三
毛子さん三毛子さん』といいながら前足で招いた。…」(42頁)
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 ホフマン:

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「こころよい予感がおこって、彼女はこの建物のまえにいるぞおしえて
くれたので、階段をおりていくと、はたして彼女がじっさいにそこに居
たではないか! おお、すばらしき再会! …(一行略)… ミースミ
ース、このちいさな女性は、のちに聞き知ったところではそういう名で
よばれていたのだが、そのミースミースが後脚をおった美しい姿勢でそ
こにすわり、かわいらしい前足で幾度となく頬のうえ、耳のうえを撫で
つけながらお化粧をしているところであった。…(四行略)…『愛くる
しき方よ』と、余はしずかに語りはじめた …」(323〜324頁)
================================

 雌猫がいるかなという期待、座っている猫の姿、それを「美しい」と
いう感情、話しかける主人公、その声の大きさ…、そしてそれらが記述
される順序。

 このふたつの文章の類似がただの偶然であると思う人は、文章をいち
ども書いたことのない人である。これ以上こまかい分析はばかばかしい
のでやめておくが、漱石先生、よほどホフマンの作品を愛読されていた
ものとみえる。

 それにしたってまあ、ホフマンの描いた雌猫の名前がミースミース、
漱石の場合は三毛子…。なんぼなんでも露骨やないかい(大笑)。

 こんなことをやってバレないと思っていたのだろうか、大文豪先生。
一般に悪事をおこなう者は、どこかで驚くほど間が抜けていたりするも
のだが、この明治の文人もその例外ではなかったということかにゃ。

 漱石の作品は、物語が進むほどに(そもそも物語というほどの展開な
ど皆無だが)猫の日常というよりも、飼い主の日記の長々とした引用、
先生宅を訪れた客とのおなじく長々とした会話の描写などが主題になっ
ていく。もともと漱石先生はそうした自分の身のまわりのことが書きた
かったわけで、猫などそのための道具にすぎない。岩波文庫版では猫と
なんの関係もない記述が延々と何十頁にもわたって続いたりする。

 実はホフマンの作品も、その意図についてはほとんどおなじである。
彼は、当時の著名人とのつきあいやゴシップを、猫の目を通して大笑い
しているわけだが、そんな作品を書くにあたって、ホフマンは愉快きわ
まるオリジナルなしかけを用意していた。

『雄猫ムルの人生観』という作品の冒頭は、まず編集者のまえがきから
はじまる。その内容がまた笑えるように書かれているのだ。編集者によ
れば、あるとき牡猫ムルが主人の書斎をひっかきまわしているうちに文
字の読み書きを覚えてしまい、ついには猫自身が自らの一代記を執筆し
てしまったというのである。

 しかもその猫一代記は、主人が書きためていた手記や日記の紙の裏側
や余白を勝手に使って書かれたために、主人の文章とごちゃごちゃに混
じってしまって、それがそのままで印刷されてしまった。というわけで
この本には、雄猫ムルの文章と主人の文章がなんの脈絡もなく交互に出
てくる。猫の文章は自分がいかに偉大な猫であるかという自慢がその内
容で、主人の文章は彼の身の回りの(つまり当時の有名人の)ゴシップ
の暴露になっている。

 いやはや、じつに周到にしてファンタスティックで大笑いできる言い
訳まで用意して面白がらせてくれるのがホフマンの作品なわけだ。それ
にくらべて、漱石先生の芸のないこと。なぜ猫が語っているのか、書い
てまでいるのか、そうした基本的な疑問や違和感にこたえる配慮など皆
無である。ま、いちいちそんなことに理由などなくてもいいというのが
日本人の「いわずもがな」風な美徳であったりもするので、私はべつに
どうでもいいんだけどね。

 べつにいいとは思うが、漱石の構造とホフマンの着想を比較してみた
とき、漱石のものがホフマンのコピー、しかも劣化コピーになっている
というなさけない事実だけは、ぜひとも指摘しておきたいぞ。

 さてここまでが、漱石の作品のごく最初のほうの一部分を比較したと
ころでの報告である。ざっと読み通すのであれば全体をすでに読んでし
まったので結論が変わることはもはやありえないが、細かな比較分析と
いうことでは本当はこれからが佳境である。いずれそのうちぜんぶをご
報告できることもあるでしょうが、しかしもう、これだけでも十分じゃ
ないかな。あまりに長くなっても、読者にとっては迷惑にちがいないし
ね。

 では止めということにして、もうひとつだけ決定的な類似点を書いて
おこう。漱石大文豪様の小説は主人公である猫の死によって唐突に終わ
るのだが、ホフマンの作品もやはり牡猫ムルの突然の死によって終わる
のである。

『我が輩』のラストシーン:

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(主人公の猫はビールをなめて酔っぱらったあげく、大きな水瓶に落ち
ておぼれてしまうのだが、それは11月のことである)。

「次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかな
い。…(略)…日月を切り落し、天地を粉せいして不可思議の太平に入
る。我が輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。…(略)…ありがたい、あ
りがたい」
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 なんでおぼれて死んでいくものが文章を書いたりできるんだよ、など
といじわるなつっこみを入れるのは下品ではあるが、漱石のこうした無
思慮とはまったく対照的に、ホフマンの場合はそんな矛盾を指摘されな
いように用心深い配慮がなされている。そこが真の創造作家と盗作屋の
違いなのだよといいたくなってしまうのだな、私としては。

 では、ホフマンのラストをご紹介しよう。牡猫ムルの死は、ムルの一
代記の編集発行人のあとがきの中で告げられる。

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「…編集発行人は事情やむをえずここに、好意ある読者にきわめて憂う
べき事情をお伝えせざるをえない。賢明で、思慮もある、哲学者にして
文学者でもあった牡猫ムルを非情の死がかれの美わしき生涯のなかばに
拉し去ったのである。十一月二十九から三十日にいたる夜半、わずかな
時間ながら烈しく苦しんだのち、賢者たるにふさわしい落ちつきと平静
さをもってこの世に別れを告げたのであった。こうしてここにまたも、
早熟な天才というものはいつもきまって、どうしても普通に期待される
ような終わり方をしないものだという証明を、もうひとつ追加すること
になったのである。…」
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 ムルは11月に死んだのだ。漱石さん、こんなことまで真似ている。

(ここで、ホフマンは音楽家でありモーツアルトおたくだったことを思
い出してほしい。モーツアルトの若死にと対比することで、牡猫ムルの
死には、天才はなんで早逝しちゃうんだろうなーというホフマンの慨嘆
を表現するための必然性がある。漱石の猫の唐突で何の脈絡もない死と
は、その文学性において質の差が歴然としているのだ。と、ちょっとだ
け文学論的セリフを書いておいてやろうっと)。

 あ、さて。これほどまでの類似点を並べ立てられて、まだ「偶然だ」
などと反論できる方がいるのなら出ていらっしゃい。丁寧に粉砕してあ
げるからね。

 ところで、実をいうと漱石先生、この小説の最終回でみずから元ネタ
があったことをバラしていらっしゃるのだ。その部分を引用しよう。岩
波文庫版の511頁:

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「…先達ってカーテル・ムルという見ず知らずの同族が突然大気炎を揚
げたので、ちょっと吃驚した。よくよく聞いて見たら、実は百年前に死
んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるた
めに、遠い冥土から出張したのだそうだ。…」
================================

 これだけ読めば良心的なカミングアウトともとれるが、実はそうでは
ない。むしろ、見苦しい言い逃れのたぐいなんだからくだらないね。

 明治39年5月、まだこの小説の連載中に、雑誌『新小説』誌上で藤
代素人という人が「猫文士気炎録」という一文を載せて、漱石の小説が
ホフマンのパクりであることを揶揄したのである。そこで文豪先生は怒
ってか焦ってか、いきなり猫を殺して最終回にしてしまったというわけ
なのだ。

『吾輩は猫である』は雑誌『ホトトギス』の明治39年8月号で最終回
を迎える。『新小説』でネタをバラされたのが5月。明治時代の出版事
情では、原稿執筆、植字、校正、印刷、製本、配本というスケジュール
を考えると、3ヶ月後に最終回、連載ストップというのは最速のペース
といえるだろう。漱石先生、パクりを暴露されたらとたんに連載を放り
出したというのが妥当な線だろう。

 日本の文学界がこのスキャンダルをどのように受け止めたかについて
は、岩波文庫版の末尾にある「解説(高橋英夫)」を読めばおおよその
ことはわかる。引用してみよう。

================================
「…ロマン派時代のドイツの作家E・T・A・ホフマンは猫を主人公と
した『牡猫ムルの人生観』を書いたが、漱石は藤代素人によって、ホフ
マンと自作との類似を指摘されるまではその事実に気付いていなかった
とされている。ホフマンとの類似はその意味で『暗合』だったが…」
================================

 うっそだーい。「気付いていなかった」だって? 「暗合」だって?
そんなことあるはずないさ。だって私が先にいっぱい指摘した「類似」
が「偶然に?」あれほど繰り返されるなんて、そんなの奇跡としかいい
ようがないではないの。

 ホフマンという人はロマン派時代の人気作家だったから、漱石先生の
ロンドン留学中には、英訳本がなんぼでも出回っていたはずだ。先生が
それを読む機会がなかったなどとはいわせないぞ。

 私は猫哲学シリーズでいろいろな権威をバカにしてきたけど、今回ほ
ど多くの人に同意してもらえそうな内容はないと思うね。

 でも、なあんだ。けっきょくみんな知っていたんじゃないか。知らな
かったのは私だけだったのか。どーりで、いつだったか○○先生とこの
話をしていたら、「もちろん知っているとも、はっはっは」と笑ってお
られたわけだ。

 それにしてもなあ…。盗作と知らないであがめ奉るのもアホだが、知
っているくせに知らんぷりをきめこんで、そのうえで称揚までするのは
悪質である。この作品は中学生の教科書にまで載っているんだからね。
子供たちに盗作を奨励するようなもんじゃないか。現代の知識人たちが
道徳的に壊れているのも無理もないよな、こんなもんを教材に使われて
教育されたんだからなあ。

 いやいやいや、それともそれとも。

 これは、日本人の知的モラルを低劣なままに貶めておきたいという、
文部科学省の陰謀なのかもしれないぞ。文庫版『牡猫ムルの人生観』が
いつまでたっても復刻されないのも、ホフマン全集が未完のまま途中で
廃刊になっちまったのも、これらすべては盗作大文豪様の権威を守るこ
とで日本人の知性を破壊しようとする当局の策謀と考えれば、なるほど
と納得できるのである。

 そういえば森鴎外などというインチキな愚物がいまだに権威とされて
いるのも、同じ作戦によるものなのだろうか。(森先生の話もおもしろ
いんだけど、またいつかそのうちにね)。こんなことに騙されてはいけ
ないぞ。目覚めよ、日本の知識人。てなことをいまごろ叫んでも、もう
遅いのかなあ。ほへ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あなたねえ、いまどき夏目漱石なんていったい誰が読むのよ」

 いつもおなじみの超美女は、いつものように容赦というものがない。

「それはそうじゃが…、教科書とか…、千円札とか…」

「そんなもんに、なんの価値があるのよ」

「…ないな」

「もうちょっと、意味のあることにエネルギーを使いなさい。たとえば
あたしに食事をごちそうするとか」

「それに意味とか価値はあるのか」

「ないっていいたいわけっ?!」

 …またくだらない会話をしてしまった。
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